「朝鍛夕練」
色々と考えを巡らせて遠回りをしてみても結局はここに辿り着く。
何事も経験。不断の努力と一歩を踏み出す勇気。
問題を解き続ける毎日の先にきっと答えがあると信じよう。
自分で言うのも何だが俺はまだ若い。
答えを急いで出そうとするのはしばらくやめておこう。
この流れを止めさえしなければ多かれ少なかれ成長しているはずだ。
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「朝鍛夕練」
色々と考えを巡らせて遠回りをしてみても結局はここに辿り着く。
何事も経験。不断の努力と一歩を踏み出す勇気。
問題を解き続ける毎日の先にきっと答えがあると信じよう。
自分で言うのも何だが俺はまだ若い。
答えを急いで出そうとするのはしばらくやめておこう。
この流れを止めさえしなければ多かれ少なかれ成長しているはずだ。
この季節、新しい生活に向けて歩みを始める仲間が多くなる。
そんな彼らのためにひそかに祈る回数が増えている。
以前、「どんなときに祈ったことがあるか?」と聞かれて、
「苦しみを背負う覚悟ができたとき」
と答えたが今の気持ちも祈りと呼べる気持ちなのだろうか。
数年前から、自分の中で勝手に
愛とは「人の人間的成長を考え、行動すること」
という定義をしている。
だからこそ、じっと見守り、祈るということも一つの愛だと言い聞かせて毎日を過ごしている。
でも、俺の気持ちを鏡に映し出しすように表情を曇らせる存在が周りにいてくれるから、知らないうちに自分の笑顔が消えていることに気づく。
正直、見守り、祈るだけの自分がやるせない。何か自分にできることはないかと想像してしまう。
それぐらい、まだ自分は我が強い。
いつになったら、自分を捨てて純粋に周りの幸せを願えるのかがわからない。
自分が手助けをしない方が、周りは自力で苦しみを乗り越えて人間的に大きく成長できるというのに。
今ようやくMR.CHILDRENのSUPERMARKET FANTASYを真剣に聴いてみる気になったが「旅立ちの唄」を避けて、「エソラ」を代わりに聴いているのもきっと我が強いからだろう。
結局のところ、祈っている時には周りの幸せを願っているが、振り返ってみるとその行動は仲間が不幸になる姿を見たくないという自分の恐怖心を晴らすためにやっているような気がする。
心の中に「恐怖」がある限り、俺は本当の祈り方を知ることはできないだろう。
新年になりました。
今年も良き経験と感動があり、謙虚に成長できることを願っています。
実家は昨年引っ越したこともあり、自分の部屋はパソコンはおろかテレビもオーディオもないデスクがあるだけの空間です。心が落ち着き、勉強に集中できるのでここで新年を迎えることができてよかったです。
「基本に忠実であること」
新年の基本はやはり今年の抱負を考え、自分を支えてくれる親族に感謝をすることでしょう。毎年、お祭り騒ぎのように過ごしていた時間を今回は少し静かに過ごしてみたいと思います。
本日は休日出勤の振替休日が取れることになり、お休みでした。
平日に休みが取れたので、今はもう使っていないローカルな銀行口座を停止するために学生時代をすごしたあの街へ行ってきました。
電車を降りるときなぜか少し緊張しました。なんだか昔の仲間たちが今もいるような感覚さえしました。
まず、最初の目的を果たすためにすぐさま銀行へ。1時間ぐらい待たされました。いろいろな事情で俺の初任給も受け取って去年の末まで使っていた銀行口座ですが、今住んでいる場所では遠すぎるし、引き落としに手数料もかかる。長い間の感謝を込めつつ閉鎖させてもらいました。
せっかくなので、あたりを歩くと一年半前とだいぶ変わっていました。工事中だった線路の下を通るでかい道が完成していました。そして、電飾が派手だったパチンコ屋がつぶれ、ボーリング場がある交差点の工場がつぶれて見晴らしがよくなっていました。
さらに、大学のほうへ歩いていくと昔行きつけだったラーメン屋の建物がきれいに改装されていました。そして、もうひとつ行きつけだった定食屋もまだありました。時間が遅かったのでやっていませんでしたが、おそらく潰れていないでしょう。
そのまま、昔住んでいたマンションの裏にある公園へ行きました。昔は時々その公園付近を歩きながら考え事をしたものです。今も昔と変わらず緑に囲まれた静かなところです。ツツジもたくさん咲いていました。
そして、また考え事をしながら歩きました。今日考えていたのは、現在の自分が過去の自分を客観的にみるように過去の自分から現在の自分をみたらどうだろう、ほかの誰かから尊敬されるよりも過去の自分が「お前、本当に俺かよ!」って思うような自分になったらいいんじゃね、などなど。
その後、思い出の街を離れ平安神宮へ。
ここへ行きたくなったのは、昔のことを色々と思い出してしまったから。やはりここの周辺は落ち着きます。ずっと留まっていたいような気持ちになります。
京都会館を通ると昔のサークル仲間の姿をぼんやりと思い出してしまいました。
京都はいい所ですが、思い出が多すぎますね。景観や雰囲気だけを純粋に楽しめないところが残念です。
今日は色々と懐古的な考えをめぐらしていましたが、「過去の自分が尊敬するような自分を目指す」という一つの新しい考え方を思いついたことが唯一の収穫です。
幾度と無く思っていることですが、思い出に耽っていても何も始まらない、何も進まない。それが分かっていても、このような場所に来ると悪い癖が出てしまいます。
最近、自分ひとりで険しい自然を求めるようになったのは自分以外の誰かと思い出を作ることが怖いのかもしれません。
久しぶりに実家に帰ってきました。一泊二日の短い期間でしたが、気分転換ができました。
いつも地元に帰省すると買い物をするのですが、決まって自分の気に入ったものが手に入るのが何だか不思議です。店をよく知っていることもあるかもしれませんが、商品の入れ替わりがあっても、その時々に自分の気に入るものがあるのです。
今回は、財布と靴とジーパンを買いました。地元は長閑すぎる、電車の生徒の態度が悪い、企業の考え方が古い、といったことを感じているのであまり好きではありませんが、買い物だけは俺の期待を裏切らないのでまた帰ってきてやろうと思います(笑)
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